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ドラッカーのマネジメントを学ぶVivaceのBlog
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魂のないミッション
ミッションに基づく経営とかMission Managementなんてのが言われるようになって20年位経つでしょうか?
ドラッカーさんがよく言われたことの中に「Mission Statementがあってもそれに魂が入ってないのでは、良き意図を書いただけ(絵に描いた餅)になる」ってのがあります。
今日面談した方から伺った話や他で聞いた話を総合すると、あの会社(有名過ぎるので社名は伏せます)って正にMissionに魂が入ってないんだなと感じます。
その会社に関してはあちらこちらでトラブルを起こしているという話を聞かされます。
創業して成長し、上場した頃にMission Statementを見た時に「あ、こりゃダメだな」と思いましたが、今のものを見ても耳触りの良い文言が増えただけで、中身には何ら進歩がありません。
そりゃあトラブルも増える一方になるのは当然の帰結です。
| ドラッカー | 08:08 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |↑PAGE TOP
我々の顧客は誰か?を考える際に
ドラッカーさんが示す5つの質問の2番目は

「我々の顧客は誰か?」

というものです。
我々に対価を支払って何らかの価値を受け取っている人であること、複数のタイプの顧客が存在するということは様々な書籍やサイト、ブログなどでも書かれていることです。
直接か間接かの違いがある、お金は払っているけれど、具体的な価値を受け取っているか、そうとは限らないかの違いがあるなど、顧客かどうかを判断するための切り口はある程度明らかになっていると認識しています。

ですが、先日、この認識だけでは整理しきれない顧客の切り口があるのかもしれないと考えさせられる出来事がありました。
中学の恩師を追悼する演奏会をOBの有志や恩師と関わりのある人達で開催しました。
会場は私の母校の体育館でした。当然ながら地元の関係者やOBの親御さんたちも来場されるだろうし、そういう方々も演奏会の顧客として予め認識していました。

演奏会の当日、客席(と言ってもパイプ椅子を並べただけですが)に小さな写真立てが置かれているのを見つけました。私だけでなく演奏していたメンバーの多くがそれに気付いていました。
でも、演奏中はそれが何を表しているのかを知ることがなく、演奏会は終演を迎えました。
写真の意味が皆に知れ渡ることになったのはそれからです。

それは私の後輩(学年が離れているので直接の面識はないのですが)の遺影でした。
私が見つけたもの以外にも、このような遺影はまだあったそうです。
考えてみると、遺影こそありませんでしたが、一つ年下の後輩は2人が既に亡くなっています。
自分より先に我が子を送ることになった親御さんが、お世話になった先生の追悼演奏会ということを聞きつけ、折角だから娘や息子と一緒に聴きに行こう、ということで遺影をお持ちになったのだそうです。

亡くなったOBとそのご家族という顧客

があるということを、その時まで想像だにできませんでした。
予め想定していたら、座って頂く場所とか、遺影は客席ではなく演奏者の近くに置くとか、様々なことができたはずです。(よく知っているメンバーは涙が止まらなくて演奏にならなかったかもしれませんが)

顧客の区分としては、既存顧客、非顧客、潜在顧客ということになるわけですが、それを更に細分化して考えていく際は、自分自身が想像できる範囲でしか顧客を見つけ出すことができません。
それに拘ってしまうと、予期せぬ顧客の存在を見落とすことになります。
予め気づくことができない、その事自体はやむをえないかもしれませんが、予期せぬ顧客があるかもしれないということを常に念頭に置くことは、自分自身の視野を広げる上で重要なことだと知りました。
これからのマネジメントにもこれを活かしていきたいです。
| ドラッカー | 08:08 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |↑PAGE TOP
時間泥棒になってはいけない
ドラッカーさんは、平気で他人に自分の時間が奪われることがある、と指摘していますが、そのようなことは自分たちの周りをよく観察すると色々と見つかるはずです。

ある見込客から、引き合いの電話が入りました。自社の商品に興味を持ってくれたようで、詳細な情報がほしいというような内容でした。
その電話の中で、自社を見つけたのはどういうきっかけだったか、どのような商品に興味を持ったのか、詳細な情報とはどのようなものを提供すればよいのか、といったことは確認できるはずです。
そういうことも何もなしに、「とにかく、一度お伺いしてご説明します」なんていう応対をしているとしたら、見込み客が欲しいと考えていた情報を持たず、無駄な時間と費用をかけて顔合わせをする以外には何の価値も産まない面談をしに行くことになります。

問い合わせの電話にどう対応し、そこからどんな情報を引き出すべきか、などということは整理できる可能性の高いものです。
上手な情報収集をして、見込み客に対して適切な情報を持って訪問することで受注につなげている営業マンがいるなら、最初のコンタクトの時点でどのような情報を入手しているのか、それはどんな方法なのか、といったことを聞き出すことができるでしょう。
このあたりのことは社内でも十分共有することができるものです。
ちょっとしたノウハウというかコツのようなものですが、これを知ってるかどうか、実行しているかどうかで随分と無駄が省けるはずです。

このような仕事のプロセスや仕事の仕方を自分自身で全て行なっている場合は、自分の仕事の生産性が下がるということになりますが、こんな受け方をした仕事を部下に指示したり、他のメンバーに依頼するということになると、それは他人の時間を盗んでしまうことになります。
知らないうちに(知っていてやるのでは最悪ですが)こんなことをしてしまい、結果として組織全体の生産性向上を阻害するということになるのです。
これは一人一人の仕事の仕方や情報・ノウハウの共有の有無以上に由々しき問題です。

このような人、あなたの会社の中に転がっていませんか?
気をつけないと、簡単に自分の時間を盗まれてしまいますよ。
| ドラッカー | 08:08 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |↑PAGE TOP
落合博満のマネジメント能力がスゴイ
先日、知人からこんなYouTubeのサイトを教えてもらいました。
昨シーズン限りで中日の監督を退任した落合博満さんと、彼の退任とともにお辞めになった森繁和前ヘッドコーチが出演しているテレビ番組です。
(1〜4まであるのですが、特に見て頂きたいのは3と4です。)
(3)
http://www.youtube.com/watch?v=j7lFqRtlX0U&feature=relmfu

この中で落合さんがいくつか興味深いことを言っておられます。

一つ目は、「俺は好き嫌いで人判断したことはないよ。だって、仕事してるんだから、仕事ができるかできないか、それだけなんだよ」
2つ目は、「自分で見つけてきたコーチたちに、最初に言ったのは、12球団からオファーが来るコーチになれ、ってこと。それを、いや、私は中日で精一杯やりますから、なんて言ったコーチは全員排除した」
3つ目は「ピッチャーのこととコンディショニングのことは全く知らない分野だから、その分野のスペシャリストとして呼んだコーチに一切口出ししなかった。だって、俺は分かんないんだもん」

ということです。
仕事をする上での人間関係を取り上げている書籍はいろいろありますが、スムーズな人間関係を上手に構築しましょう、というようなものを結構見かけます。
落合さんが言うように、仕事ができるかどうか、それだけで十分だと言い切るのは勇気が要りますが、ドラッカーさんも経営者の条件の中で、同様のことを言っています。

「貢献に焦点を合わせずして良い人間関係など構築できない」
チームが優勝する、それを実現できるような選手を育成する、配置をする、それぞれの担当分野でそれに必要なことを仕事としてしっかりとやることを、落合さんは求めていることが分かります。
上司である自分は部下のあなたにどんな貢献の責任をもたせるべきか、をしっかりと問うています。
各コーチがそれぞれの分野でしっかり貢献する、その際に必要なメンバーが必要な時にしっかりと連携し、コーチ陣のチームワークが出来上がっていたのでしょう。

また、次のリンクの部分ではこんなことも言っています。

(4)
http://www.youtube.com/watch?v=Axw5kTuSkM4&feature=relmfu

「監督になった時から、常に2年後3年後のことを考えて、来年どんな選手を取るべきか、どの選手はどのように処遇すべきか、それによってチームをどんな形にすべきかというシナリオをきちんと考えて、それに必要な手立ては常に打ってきた。契約が切れることになった時に、もう先のことを考えなくて済むから楽になった、というのはあるよね。」

目先の勝利を追うことも勿論大事ですが、3年後のチーム構想を思い描き、それを実現するために今やるべきことは何かを考えて実際に行動していたというわけです。
例えば、ブランコいう外国人選手はいつでも他球団にトレードできるよう、手を打っていたなどの話が出てきます。
荒木と井端の二遊間コンビのポジションを入れ替えるという前代未聞のコンバートの時もそれぞれの選手がその時に持っていた問題を解決し、更に成長することを前提としたものだったことを明かしています。
こういう状況になったら、元に戻すつもりだったと言っておられました。
これはまさにマネジメントそのものです。

私達が普段目にしないところで、このようなことが日常として行われていたからこそ、中日ドラゴンズは昨年までの8年間で4回のリーグ優勝と1回の日本一に輝くという素晴らしい結果を残せたのだということがよく分かります。

FAでヤクルトから中日に移籍し、3年契約の2年目が終わるまで1度も一軍のマウンドに立てなかった川崎憲次郎投手に、3年目の開幕投手で使うから、と告げたそうです。
苦しい2年間を送ってきたことも知った上で、次にマウンドに立った時に結果を出せなかったら多分その時点でクビになるだろうから、それなら、開幕戦が川崎の正念場だよ、そこから逆算してやるべきことを徹底してやり、開幕戦を迎えられるように準備しろ、と言ったのだそうです。
これは落合さん、森さん、川崎投手の3人しか知らない、超極秘事項だったそうです。
(この話をする場面には、これを漏らしてしまいそうな人間は一切呼んでいなかったそうですが)
結果、川崎投手は勝ち星を上げます。(訂正:この試合は中日が勝利していますが、川崎投手には勝ち負けがつきませんでした。)その年で引退しましたが、きちんと結果を残して現役を退くことができました。
こういうことを見ている選手たちは、気に入らないこともあるのでしょうが、結局は落合さんを信頼し、ついていくことになるのです。
(シーズン終了時で契約を更新しないという会見をシーズン中に行ったことに対して、烈火のごとく怒った選手が何人もいたようです。)

他の部分のリンクは下記のとおりです。
(1)
http://www.youtube.com/watch?v=fPnJCvGwV-Q&feature=relmfu
(2)
http://www.youtube.com/watch?v=LMcNJtphpvw&feature=relmfu
| ドラッカー | 08:08 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |↑PAGE TOP
ボールを咥えて戻ってくるネズミとモチベーションの関係
ドラッカー学会でお世話になっている方がフェイスブックで紹介しておられた動画がとても面白く、かつ興味深かったので、ご紹介します。


ペットで飼育しているネズミ2匹が、エサをもらい、飼い主が投げたボールを取りにいって、咥えて戻り、放すとおやつをもらえる、という映像などが入っています。

エサ、おやつ=報酬
報酬をもらうこと=行動の動機

という構図ですね。
ネズミさんに、物理的な報酬以外のものを与えて、報酬と受けとめてもらえるかどうかは微妙ですが、おやつのような物理的な報酬ならちゃんと反応できるわけですね。

モチベーション

という言葉は普段から使われる場面が増えてきたように思います。

人間が行動するよう動機付けられること

ということですが、その動機や行動に導く源泉として、物理的な報酬、即ち賃金(お金)を与えるとネズミのようにお金がもらえる行動を続けられるのでしょうか?
ハーズバーグは、それは無理だと言っていました。
ドラッカーさんも、特に知識労働者はボランティアを扱うつもりでマネジメントすべきだと言っておられます。

どちらも、行動の源泉がお金だけではないと言っておられるのだと思います。

さて、お金以外の報酬を社員や組織を構成するメンバーに提供できているでしょうか?
そして、それはどんなもの、どんなことでしょうか?

承認すること、信頼すること、賞賛すること、更にチャレンジングな仕事にアサインすることなどなど、世の中ではお金以外の報酬のあり方としていろいろなことが挙げられています。
ただ、それが有効に機能したという例がなかなか表には出てきません。

ご存じの方、是非教えて頂きたいです。
| ドラッカー | 08:08 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |↑PAGE TOP
指揮者と企業のリーダー・・・似てるけど根本的な差がある
高校の先輩で指揮者の小松長生さんが書かれた本です。
面白かったです。
指揮者の仕事というと、素人にはコンサートホールでオーケストラの前に立って指揮棒を振っている姿しかイメージがつかないと思いますが、実際には、そこに至るまでの部分が仕事の大半なのです。
指揮者は徒手空拳で指揮をするわけではありません。
スコア(総譜)という作曲家の意図を形にしたものを持っています。
これはオーケストラの楽員もパート譜という形で共有しています。
つまり、大まかな方向性は楽譜という情報で共有しているわけです。
ですが、それをどのような形で音楽にまとめていくのか、ということを考え、示すのは指揮者の役割です。自分が作り上げたい演奏とはどのようなものが、そのための肝はどこか、それに対して各楽員はどのように演奏して欲しいか、ということを明確に示します。

これ以上は是非本を読んで頂いたらと思うのですが、上記のことは企業の経営においても同じです。
○○業というくくり方をすれば同じ業界に入る企業でも、どのような会社にしたいか、という経営者の意図によって事業展開は変わりますし、会社のイメージも内容も変わってきます。
この経営戦略や方針を立案し、社員に示すということが経営者の仕事の一つです。
一組織のリーダーであれば、自らが率いる組織の目標とそれに至るための戦術を明確に示し、メンバーにその実行を促すことになります。

知識労働に関わる組織の形態として、ドラッカーさんは3つのパターンがあるとしています。
(1)野球型
(2)サッカー型
(3)テニスのダブルス型
です。
この中の2つめについては、オーケストラ型という場合もあります。
オーケストラという組織と指揮者の存在は企業組織に類似していると考えておられたようです。
小松さんの本でも、冒頭から、オーケストラの指揮者というのは企業の経営者や管理者という立場と共通する部分が多いと書かれています。

ですが、オーケストラと企業組織には決定的な違いがあります。
それは、

プロとアマチュア

という違いです。
ここで言うところのオーケストラは基本プロフェッショナルのオーケストラです。
指揮者(経営者)もプロだし、楽員(社員)もその道のプロというわけです。
さて、このようなプロの経営者とプロの社員が集まった会社って、一体どれだけあるのでしょう?
決して多くはないように思うのです。
社員はほとんどがアマチュア、経営者もプロとは言えないケースが多いのではないでしょうか。
オーケストラに置き換えると、プロの指揮者が学生や社会人のアマチュアオーケストラを指揮するような感じか、素人の指揮者がアマチュアオーケストラを指揮しているという感じになるでしょう。

その意味では、会社組織もプロとプロの集団になるということを明確な目標として設定しておくべきなのだと思います。
先日、小松さんが指揮をしたコンサートを聴く機会がありました。
60名ぐらいの小ぶりな編成で、第一バイオリンは2人ずつで5列の計10人というサイズです。
コンサートマスターは若くてエネルギッシュな感じですが、最後列の5列目にそこそこお歳を召した男性奏者がおられます。この方は一体どんな人なのだろうと思い、小松さんに伺うと、

あ、彼はね、ある中堅オーケストラのコンサートマスターを定年でお辞めになって、ここに来てくれた方なんだよ。
技術も凄くてね、若い連中が何かあるといつも彼の所に教えを請いに行っているよ。
大体ね、バイオリンの後ろの方で演奏するのは実はとても難しいんだよ。ステージ上でも音は遅れて聞こえるから、きちんと合わせるにはそのことも考慮しないといけないけど、先走ってもいけないし、若い人はあたふたするんだよ。
それをサラッとやってのけてくれるし、そこそこのオケのコンマスだったなんていうことをひけらかすこともなく、紳士的だし、演奏にも真摯だし、素晴らしい方だよ。

ということを教えて下さいました。
定年退職された方を再雇用したり、定年前の方をスカウトしてきたりする会社も沢山ありますが、このような立ち居振る舞いをしてくれる人に出会う確率は高くないようです。
その点からも、オケとは違って、企業の場合は社員自身がプロとは言えないケースが多すぎるのでしょう。
経営者もプロになる、社員もプロになる、プロとプロがお互いを尊敬し、信頼し、持ち場をわきまえて自らの役割を果たす、そんな組織は強い組織だし、高い成果を上げる組織だと言えます。

こう考えると、小松さんの本に書かれているリーダーシップのあり方はプロとプロの組織でのリーダーシップの一形態というように捉えるべきだと思います。
ここに至るまでの段階でのリーダーシップのあり方についても学んでおく必要があるでしょう。
リーダーシップはワンパターンではありません。
ワンパターンでは上手くいかなくなります。
組織の成熟度、構成員の能力と意欲などによって有効なスタイルが変わるというのが現在の常識です。

プロとプロが仕事をする組織を作るために、経営者は知恵を絞り、自分自身が勉強し、採用するスタッフを見極め、切磋琢磨する組織を作っていけたら、面白いでしょう。
それを上手く進めていくためにもその段階毎に応じたリーダーシップのあり方を学ぶ必要があるのです。
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| ドラッカー | 08:08 | comments(0) | trackbacks(1) | pookmark |↑PAGE TOP
なでしこJapanが世界一になれたのは…
8月に入りましたので、先月の話ということになりますが、なでしこJapanがFIFA女子W杯ドイツ大会で優勝しました。
日本としては男女を通じて初のFIFA公式大会での優勝ということになりました。
おめでとうございます。
なでしこリーグも世界一効果で、代表選手を6名抱える神戸の試合は2週続けて観客動員記録を更新して、昨日はついに2万人を超えたそうです。
一過性のブームで終わらないようにすることが大事ですが、そうならないようにサポーターの皆さんもスタジアムに足を運んで頂けたらと思います。

なでしこJapanの強さの秘訣を考えた時に、佐々木則夫監督のマネジメントが有効に働いたからだと思っておりました。
ほぼ同じメンバーで望んだ北京五輪ではメダルを狙うと言って結果は4位でした。澤穂希選手をはじめ、どの選手もがっかりしたようです。
ただ、準決勝でアメリカとやった時も、3位決定戦でドイツとやった時も、点を取っていい試合はしましたが、リードされても、ここまでこれたから十分だ、というような感覚があったと言います。
これに対して、W杯ではドイツ戦でも決勝のアメリカ戦でも、試合ができるだけで満足、というような感覚を誰一人として持っていなかったと言います。
絶対に勝つ、絶対に負けない。
この明確な意思を選手、スタッフが共有していたのでしょう。

決勝のアメリカ戦では、選手達のそのメンタリティーがあらわになっていました。
常に先手をとられ、主導権を握られました。
1点目を取られた時も、勝ち越し点を取られた時も、アメリカはそれを守りきって勝とうとしていました。そういうサッカーを始めました。
男子チームと比較してみると分かりやすいのですが、圧倒的に格上のチームと試合をして、先制されたり、追いついたのに突き放されたりすると、ピッチ上の11人の内、結構な人数が下を向いてしまいます。
今までは明らかにそうでした。
三浦知良や中田英寿など、一部の強いメンタリティーを持った選手が他のメンバーを鼓舞しますが、なかなかそれも伝わらないなあというシーンを何度も見た気がします。

ところが、今回のなでしこJapanはそのようなそぶりを見せた選手が一人もいませんでした。澤選手が「まだいけるよ!!」というような感じで声を出していたのだと思いますが、皆がそれに反応して、ボールをセンターサークルに運んで、すぐに試合を再開させようとしていました。うつむいている選手など一人もいませんでした。
これが北京五輪と今回のW杯の違いの1つめだと思います。

もう一つ考えられることは、
北京五輪のチームは「サッカー型」だったが、W杯ドイツ大会のチームは『テニスのダブルス型』だった
ということです。
ドラッカーさんが示している組織の形態のことですが、今回のチームは、佐々木監督のゲームプランをしっかり理解して、それをピッチ上で表現するということをもちろん行ったわけですが、そのプランが思ったほど機能していない、ということもあり得るわけです。
これを修正するチャンスはハーフタイムしかありません。
それまでに試合を決められてしまったら手の打ちようがなくなります。
澤選手達は試合中に、与えられたゲームプランや作戦が有効ではない部分を感じ取り、必要なら自分たちの意思で修正をしながら試合をしていたのです。
ポジションを変えることは当然ですが、それ以外にも不都合と感じた部分は選手達が自ら役割を変える位の判断をしていたと思うのです。
延長後半、コーナーキックのチャンスに、宮間、澤、坂口の3選手が作戦会議を始めてどんなプレーをするかを打ち合わせたことは何度も報道されて、周知のことになっていますが、これもそこまでのプレーの中で、どこを突けばこのワンチャンスをものにして同点にできるかを考えた中で導かれた作戦だったわけです。

このようなことができる組織はテニスのダブルス型と言ってよいと思います。
このような組織を作り上げた佐々木監督のマネジメント手腕はもちろん賞賛に値しますが、それができるだけのメンバー個々の能力と意識の高さがあったことがその根底にあると思います。
その意味では、本当のプロフェッショナルが集まったチームだったのだと言えるでしょう。

こんなチームを作りたいものです。
こんなチームと一緒に仕事をしたいものです。

最後に、なでしこJapan、世界一、おめでとう。
| ドラッカー | 08:08 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |↑PAGE TOP
リーダーとは?
タイトルは仰々しいのですが、これから書こうとしていることは難しい理論を展開しようとしているわけではありません。
逆に、極めてシンプルな問いを皆さんに発したいと思います。
それは、

「リーダー」を定義付けするとどのようなものになるか?

ということです。
ネットでリーダーの定義について検索してみると、結構幅広いものがヒットします。
リーダーとしての資質だったり、リーダーの条件だったり、特定の状況で求められるリーダーの能力や態度のようなものだったり、単なる精神論だったり、様々です。
でも、なんとなく帯に短したすきに長し、というか、特定の状況にしか当てはまらないかなあ、というか、スッキリとしないものが多いのです。
どれも決して間違っているというわけではありません。
でも、スカッとしないのです。

さあ、皆さんはこの問いにどう答えますか?
(久しぶりに、「続きを読む」のところで私なりの答えを書いてみましょう。)
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| ドラッカー | 08:08 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |↑PAGE TOP
野球→サッカー→テニスのダブルス
タイトルだけで何のことか想像できる方はそこそこのドラッカー通です。
(このテーマは「もしドラ」にも出てなかったような気がします。)

ドラッカーさんが提示しておられる組織の発展段階に応じた組織形態、組織運営のあり方のことですね。

〜反イ箸靴討泙誓熟しておらず、構成員が持つ知識見識、ナレッジなどがまだまだ十分ではない場合は、野球型の組織がフィットする。
∩反イ成熟し始め、ある程度自立的、自発的に動いていくことができるレベルになってきたら、サッカー型の組織がフィットする。
最も高度に成熟した組織になってきたら、テニスのダブルス型の組織がフィットする。

という考え方です。
(この件については過去にもエントリーをしていますので、よろしければご参照下さい。)

野球は監督やコーチもフィールド内に立ち入るため、全員同じユニフォームを着用しています。試合中でもその現場に寄り添い、事前に作戦を練り、状況に応じて戦術も変化させ、具体的な指示を都度都度与えます。打撃でも守備でもそれぞれに固有の役割が明確に決まっていて、例えば、ピッチャーのポジションに全く未経験の外野手をあてがうなどということはあり得ません。
サッカーは監督やコーチはピッチサイドのベンチには入りますが、試合中にピッチ内に入ることはありません。ですから、選手と同じユニフォームを着ることはありません。
でも、選手に近いところに身を置き、その試合のゲームプランを立て、それを遂行する上でベストと思う選手を選んでピッチに送り出します。
試合の状況が想定とは違う形になれば、それに応じて戦術を変えたり、選手を替えたりします。ハーフタイムには気合いを入れ直したり、新しいゲームプランを授けたりすることもできます。
選手はGKだけが特定の役割を担いますが、それ以外のフィールドプレイヤーは守備もしますし、攻撃もします。
大まかな役割分担はありますが、右サイドの選手が左サイドに流れたり、中盤の選手がゴール前に飛び込んでいったりと、その場での状況判断に基づいて自分に与えられた役割とは違う役割を果たす必要があります。
それでもディフェンダーなのにいつも最前線に張り出して、ポストプレーをする、なんていうようなスタイルはやり過ぎだと批判されますから、自由気ままにやっていいというわけではありませんね。ある程度の限界はあると言えます。
テニスのダブルスの場合は、監督やコーチはゲーム開始まではロッカーなどで選手と接触して、具体的な指示をすることができますが、試合が始まってしまうと、決着がつくまでスタンドで観戦するしかありません。状況に応じて新たな作戦を授けるということも原則的にはしてはいけないことになっています。
ですから、選手自身が自分やパートナー、対戦相手の状況を把握し、それに応じた戦術展開を考え、必要に応じてゲームプランも変え、お互いの役割も臨機応変に変化させることが求められます。
一つ一つのプレーから学び、それをプレーに活かすことも求められます。

ドラッカーさんがこのような組織運営のあり方について、サッカーという競技を例に持ち出したのは、サッカーが好きだったからというわけではないはずですが、もし、サッカーも大好きだったのだとしたら、ちょっと例示に使うのをためらったかもしれない、と思うのです。

サッカーには

マリーシア

という言葉があります。
反則は取られないギリギリの線でのプレーや審判に見つけられないように、ちょっと狡いプレーをする、というような意味合いで使われます。
マネジメントの立場でも、ともすれば、このマリーシアに近いようなことを行っているケースがあります。
経営上での「マリーシア」については、善し悪し双方の意見や判断があるでしょう。
でも、マネジメントに求められる資質について、ドラッカーさんは

真摯さ

だと断言しています。
マリーシアはこの真摯さと矛盾することだと思うのです。
(ここまで読んで頂いて恐縮ですが、組織運営の形態は、このこととは実は何の関係もありません。単なる「サッカーつながり」のネタ振りだけです。)

でも、組織運営においても、経営そのものにおいても、マリーシアを認める組織なのかどうか、ということはとても重要なことで、少なくともドラッカーさんはそのようなマネジメントを認めてはおられなかったのだろうな、と思います。

マリーシアでも上手に活用すればいいんだ

そのように考えている経営者もいるでしょう。
でも、それではマネジメントとしての資質に欠けると考えるべきでしょう。
まして、組織が成熟し、テニスのダブルス型レベルまで高まってくると、経営者の価値観の中にマリーシアが見え隠れするようになると、モチベーションは高まるどころか低下していくのではないかと思います。

不器用なやり方で、損をすることが多くなるのかもしれません。
でも、最終的には、マリーシアよりは真摯さを最優先させるという経営者のところに優秀な人材や素晴らしい経営資源が集まってくるのではないかと思います。
| ドラッカー | 08:08 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |↑PAGE TOP
独占企業と限界的存在
ある程度の規模に成長した企業が自社のポジションを認識するために様々な指標を活用しますが、その中の一つに、

シェア(マーケットシェア)

があります。
シェアが高ければ高いほど、自社製品の利用率が高まり、販売数量の読みもしやすくなり、経営としては安定するでしょう。
PPM(Product Portfolio Management プロダクトポートフォリオマネジメント)という考え方でも、スタートアップ期の企業が目指すべきことは、とにかく相対的マーケットシェアを高め、その状態を維持して花形(Star)になることだ、と言われます。
そのシェアを維持し続けたまま、市場が成熟して魅力度が相対的に低くなっていくと、ポジションとしては花形から「金のなる木」にシフトしていきます。
逆にシェアを獲得できず、花形になれなかった場合は、「負け犬」となって市場から消えていく運命にあります。
こんな考え方からも影響を受けるわけですが、シェア、という指標はかなり重要なものとして扱われています。

先述したように、シェアは低いよりは高い方がいいに決まっているわけですが、

どのくらいのシェアだったらいいのか?

ということが次の疑問として浮かびます。
仮に、シェアが100%だったとしましょう。
この状態は平たく言えば「独占」ということになります。
でも現実的にこのような状況にあるケースはほとんどありません。
より現実的なシェアの考え方として、ランチェスター戦略では

73.9%を超えたら独占

というように定義されていますから、このぐらいのシェアであればほぼ独占ということになるわけです。
こんなシェアが獲得できたらいいよなあ、と感じる経営者は少なくないでしょう。
自社が扱うジャンルの製品を持っている人を見たら、ほとんどの場合自社製品を持っていることになるわけですから、経営者としては気分はいいでしょう。
でも、この独占状態というのは、実は極めて危険な状態なのです。
電電公社、専売公社はもちろんのこと、今、福島原発事故で問題になっている東京電力をはじめとする電力会社も典型的な独占企業の例です。
NTTになる前の電電公社の職員の動きや電力会社の考え方って、一般大衆からすると理解不能なほど非常識なものだったりすることがありませんか?
競争がないわけですから、自社の論理だけで物事を進めても問題が起きないわけです。
福島原発の事故に関する東電の対応、特に情報を小出しにしたり、隠蔽ではないか、と言われるような行動をとるのは、顧客の側を向かずに、社内や政府、行政機関の側を向いて仕事をすることが普通になっているからなのだと思います。

ドラッカーさんはこのような状態のことを

限界的存在

と呼び、極めて危険な状態だと指摘しています。
ここでの「限界」の意味は

成長が限界に達している

という意味で使われています。
要するに、独占状態になると経営は安定させやすいのかもしれないが、今以上の成長を望むことは難しくなるわけです。
これは視点を変えるとちょっとしたことをきっかけとして簡単にジリ貧に陥ってしまう危険性が高いということになるのです。
そりゃそうです。
競争がないわけですから、新商品や新サービス、新技術を開発する必要などないのです。そんな状況ではそのうち顧客にも飽きられてしまいます。
でも、他の会社から買いたくてもそんな会社がないので、顧客の方も仕方なく購入し続けざるを得ないから潰れはしないのです。
もしそこに競争相手が出現すると潰れてしまうかもしれませんが、逆に、そんな技術やサービスをそんな低コストで提供できたんだなあ、と思うような展開になることもあります。
電電公社がNTTになったことで電話料金が安くなったり、ネット関連の新サービスが拡充したりというのはその典型例と言えるでしょう。
でも、独占状態にある企業はそのような外圧がかかるまで、「自分たちが限界的存在になっている」という認識を持てないことが多いのです。
東電だけでなく、電力会社、ガス会社などは自社が限界的存在になっていないか、ということを常に念頭に置く必要があると思うのですが、果たして経営陣にそんな感覚があるのかどうかは微妙なところです。

限界的存在にならず、自ら競争環境に身を置くことで、自社を成長させるだけでなく、市場自体を成長させることができるということも意識するべきです。
競争環境に置かれることはしんどいことですが、その中にいることで自らが磨かれ、マーケットサイズも拡大させることにつながれば、結果として手に入れられる成果も拡大するのです。

限界的存在になり、内向きの組織運営、内向きの仕事の仕方でよし、ということにならないようにしなければなりません。
闇雲にシェアを伸ばすというようなことばかりを追求してしまうことは、極めて危険な状況に自ら追い込んでしまう可能性があるということを認識しておくことが大切です。
| ドラッカー | 08:08 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |↑PAGE TOP